〈自己紹介③:社会人編 1〉生きづらさが教えてくれたこと

これまで、
私の幼少期と学生時代についてお話ししてきました。
今回はその続きとして、
社会人になってからの出来事について書いていきます。
社会人になるまでは、
「働き始めれば、きっともっとのびのびと自分らしく生きられる!」
そんな淡い期待がありました。
でも実際には、
それまで感じていた生きづらさは消えるどころか、
むしろ社会の中でさらに浮き彫りになっていきました…。
けれども、この時の経験は
今の私の人生や施術の在り方にも大きく影響している
とても大切な時間です。
思い知った社会の現実…

社会人になって、最初に就いたのは、
洋服のお直しやパンツの裾上げをする仕事でした。
お客様の大事なお洋服を
切ったり、縫ったりするので
絶対に失敗は許されません。
一つひとつの作業に
正確で細やかなプロの技術が求められる上、
常に秒単位の時間制限が課せられ、
ひっきりなしに作業に追われます。
仕事場では、店長の
「ミシンかけ、パンツ1本につき30秒ね!」
「裁断は20秒で仕上げて!」
というような指示がいつも飛んでいました。
ちなみに、
この道うん十年のプロの中のプロは、
ミシンかけをパンツの片足1秒で終わらせていました。
もうすごいを通り越して、何が起こったか理解できませんでした。笑
そんな中、結局私は
周りの方と同じようにテキパキとは仕事をこなせませんでした。
急げば急ぐほどミスが増え、
落ち着いてやろうとしても焦りで手元が乱れる。
作業そのものはできても、
スピードが求められる環境になると途端にパニックになってしまうのです。
弁償が必要になるような失敗も重なり、
気づけば、心も体も限界に近づいていました。
ある日、友達と遊んでる時に、
「死にそうな顔してるで」と言われました。
この言葉を聞き、
このまま仕事を続けていたら、
自分が壊れてしまうかもしれないと
改めて危機感を覚えました。
そして、私はその仕事をたった半年ほどで辞めました。
今振り返ると、当時のこの決断は
間違っていなかったと思っています。
ますます浮き彫りになる生きづらさ

その後も、さまざまな職業を渡り歩きました。
ファミレスでの接客業、
市役所の事務、
デザイン事務所のデザイナー、
マーケティング会社のホームページ制作者などなど…。
けれど、どこへ行ってもうまくいきませんでした。
それらの仕事を経験してわかったのは、
私はマルチタスクが壊滅的に苦手ということでした。
唯一できるのは、場の空気を明るくすることと、人の話を根気強く聞くことぐらい。
仕事終わり、夜中まで
先輩や同僚の話を聞くこともしばしばでした。笑
でも、そんな私の得意は、
「いかに効率良く多くの利益を上げるか」が重視される
一般的な仕事では何の役にも立ちません。笑
なので、少しでも周りの方々の足を引っ張らないようにと
自分なりに工夫をしたり、努力を重ねたりしました。
でも普通の人が自然にできることがどうしてもできないのです…。
見かねた職場の先輩方が、
私がミスしないように一緒に対策を考えてくれることもありました。
けれども、
それらの想定を超える失敗をまたしてしまうのです…。
できる限り気をつけているはずなのに
どうしてそんなハプニングが起こるのか
自分でも全く意味がわかりませんでした。
予想だにしていないミスが知らない間に起こるので、
自分自身が一番キツネにつままれた感じになります。
同時に、私の未来を信じて、
手を貸してくれた先輩方にも申し訳ない気持ちで一杯でした。
終いには、尻拭い残業中、
呆れた先輩に
「今、あなたは会社にとってマイナスでしかないで。
そんな人、ここにいる意味あると思う?」
と詰められる始末…。
その後、私はその会社をしっかりとクビになりました。笑
自分なりに試行錯誤をし、
精一杯努力もしているはずなのに、
人が当たり前にできていることが自分にはできない。
他の人が「できて当たり前」のことを
私は何倍も頑張って、
やっと0.1できるかできないかぐらい…。
いくら私が努力してやっと少しできるようになったとしても、
周りからするとできて当たり前なので、
いつまでたっても「使えないヤツ」のまま。
なので、社内での私の呼び名は「ポンコツ」でした。
でも何よりつらかったのは、
その「どれだけ頑張っても、当たり前のことができない」
という苦しさを誰にも理解してもらえなかったことです。
この”当たり前ができないこと”を人に相談をすると、ほとんどは
「考え過ぎ、考え過ぎ。
だって、私とこうやって問題なくしゃべれてるやん?
誰でも始めはそういうもんやから、
そのうち慣れたらできるようになるって」
と優しく言葉をかけてくれます。
あるいは、
「この世界は結果が全てなんやから、そんなのただの言い訳やで。
できるようになるまで頑張るしかない。
みんな諦めずに努力で壁を乗り越えてきてるねん。
君が仕事ができないことで一番困ってるのは、
周りの人たちだということを忘れたらあかんよ。」と
激励してくれるかのどちらかに分かれます。
話を聞いてくれたことは感謝していますし、
みなさん、優しさから励ましてくれていることもわかります。
でも、それらの答えでは
自分の違和感がどうしても拭えませんでした。
うまく言葉にできないけれど、
確かに存在している
「私には、周りの人が普通に持っている”何か”が確実に欠けている」
という生きづらさ。
そして、それを理解してもらえないつらさと孤独感をずっと抱えていました。
生きづらさの正体

このように、社会に出てから
自分の生きづらさがさらに浮き彫りになりました。
人の役に立ちたいのに、
人に喜んで欲しいのに、
周りの足を引っ張ってしまう自分が嫌で嫌で仕方ありません。
自分でも違和感を感じていたこともあり、
ついに病院に行くことを決めました。
実は、前述のクビになった会社の上司にも、
「流石にどこかがおかしいと思うから、
病院行ったほうがいいと思うで」
と言われていたんですよね…。
そして、受診した結果、
めでたく(?)発達特性の診断を受けました。
そのとき初めて、
自分の生きづらさの原因が理解できた気がしました。
「自分が怠け者だったわけでなく、
努力が足りなかったわけでもない。
脳の特性が関係していたんだ…」と
どこかホッとすると共に涙が溢れました。
ずっと「どうして私は…」と自分を責めてきましたが、
”普通ができないのが、私の普通”だったんです。笑
子供の頃からの疑問の答えが初めて腑に落ちた瞬間でした。
けれどもそれと同時に
これまで全く会社の役に立たないと言われてきた、
人のお話を聞くことや
言葉にならない感覚を繊細に感じるやこともまた
自分の大切な特性のひとつなのだと思うことができるようになりました。
それらの特性は、今では私の施術の大きな強みのひとつになっています。
生きづらさがくれた、かけがえのない宝物

これまでお伝えしてきた経験は、私の超個人的なものです。
ですが、これらの苦しみを経験してきたからこそ、
臨床の現場でも、
つらさや生きづらさを抱えている方に対して、
実感をもって寄り添えるのだと感じています。
また一方で、人は
「自分の経験の範囲内でしか物事を判断できず、
体験していないことを本当の意味で理解するのは難しい」
ということも痛いほど学びました。
だからこそ私は、
自分の価値観や思い込みで安易に人を判断しないこと、
そして「分かっているつもり」にならないことを常に意識しています。
もちろん、どれだけ気をつけていても、
相手の苦しみを本当の意味で理解できるわけではありません。
それでも、その前提を忘れずに、
クライアントさまを孤独な状態にしないこと。
決めつけないこと。
その方が感じているつらさや症状にできる限りそのまま寄り添おうと努めること。
それが、今の私の施術スタイルの根幹になっています。
これまでの長い間、生きづらさを抱え、悩み、
それを乗り越えようと試行錯誤を重ねてきたから私だからこそ、
「本質はどこにあるのか」
「なぜ、そのようなことが起きているのか」
などの、物事を深くまで考える姿勢が身につき、
それが施術でも活かせているのだと思います。
改めて、今の私があるのは、
生きづらさがあったからこそです。
だから今では、
そんな私自身をとっても誇りに感じていますし、
「”普通”じゃない自分」でよかったと心から思えています。
ここまで、
施術者としての私の根幹となっている経験についてお話しさせていただきました。
次は、
私が施術者としての一歩をどのように歩み始めたか。
そして、今の施術スタイルに至る
私の人生の方向を大きく変えたある出会いについてお話ししていきます。
