〈自己紹介②:学生編〉暗黒の学生時代

前回の記事では、
私の幼少期について少しお話ししましたが、
今回は小学生から大学までの学生時代について書きました。
学生時代は、幼少期よりもさらに
「生きづらさ」が増していった時期でした。
よく人が「学生の頃に戻りたい!」と言いますが、
私は全く思いません。笑
私がどんな学生時代を過ごし、
そう思うに至ったのかをぜひご覧いただけたらと思います。笑
問題行動を繰り返す小学生時代

小学校に入っても、相変わらず
「普通」ができない子どもでした。
宿題を忘れる、持ち物をなくすは当たり前。
ランドセルや学校の机の中には、カビの生えたパンが常に1、2個眠っている。
行動がみんなよりも何テンポも遅く、教室を移動する時はいつも一人教室に取り残される。
部屋や机はいつもぐちゃぐちゃ。
時間の管理が苦手。
「今度こそ気をつけよう」と思っても、
なぜか同じ失敗を繰り返し、
ヒステリックな母に
「そんな子はいらない!家から出ていけ!」と
怒鳴り、叩かれる日常。
また宿題を忘れたり、先生に怒られた時は、
そんな自分が情けなくて、
壁に頭を何度も打ちつけたり、
自分で自分を叩いたり、
自分の腕を噛んだり…。
勝手に机と椅子ごと廊下に移動したり、
冬の寒い日、冷たい廊下に正座しに行く…
というような問題行動を繰り返していました。
そのため、先生に呆れられ、
同級生たちにはドン引きされたり、嘲笑されるような有様でした。
当時の私は、自分を罰することで、
「なんとか少しでも罪を償わなければ」
と本気で思っていたのです。
今でこそ、それは「自傷行為」だったんだとわかります。
けれど当時は、メンタルの知識も今ほど広まっておらず、
周りからすると
ただの「意味不明なことをするヤバイやつ」だったと思います。
家や学校でのさまざまなストレスのせいか、
小学2年生の頃には、
痛すぎて歩けないほどの
原因不明の激しい胃痛をよく起こすようにもなりました。
幼少期からのストレスで、私の自律神経はズタボロでした。
家庭内のさらなる地獄化

小学校高学年になると、
ただでさえ心休まらなかった我が家が
さらなる地獄と化しました。
転機となったのは、
両親の家庭内別居です。
同じ屋根の下にいるのに、
母が父のことを一方的に毛嫌いし、
一切顔を合わせない。
元々ヒステリックで
いつ爆発するかわからなかった母ですが、
この頃からより予測不能で、
さらに緊張を強いられる存在になったのでした。
また、母に
私が父と話していることに気づかれると後で
「あんな気持ち悪いヤツとよくしゃべれるなぁ」
と嫌味を言われます。
でも私からすると、
自分の身体には、母と父、
両方の血が混ざっているので
自分自身を否定されているように感じ、
心を引き裂かれているような感覚でした。
この家庭内地獄は、
私の大学卒業の少し前、
実に13年程続きます。
この安心できず、
母の気に入らないことをするとすぐに否定される環境で、
さらに私の自己否定感は強化されていきました。
感覚過敏という特性

私には、子どもの頃から「感覚過敏」という
目に見えないハンディキャップがありました。
感覚過敏とは、
音・におい・触感などの五感に対して、
人よりも強く反応してしまう特性のことです。
当時はそれが「特性による症状」だということなんて知るはずもなく、
「みんな、どうして平気なんだろう?
私一人だけやたらしんどがってて変やなぁ」
と不思議に思うことしかできませんでした。
私にあった症状としては、
例えば、
- 音の過敏:黒板消しやドライヤーの音、暴走族の爆音に異常な恐怖を覚える
- 刺激の過敏:少し驚かされただけなのに、嘘くさいぐらい過剰に驚いてしまう
- 匂いの過敏:油引きの匂い、洗剤や柔軟剤、香水やシャンプーの香りで頭痛になったり、嘔吐する
- 触覚の過敏:服のタグのチクチクや化学繊維の不快感がストレスになる/
紙や食器の感触がゾワゾワして触れない - 味覚の過敏:炭酸飲料が痛くて飲めない
などです。
幼稚園や中・高の時は、
冬用の厚手の制服の感覚が苦手なためどうしても着られず、
寒さに震えながら半袖やカッターシャツ1枚で生活していました。
それでも寒さを我慢するほうが、
制服が肌に触れる「不快感」に耐えるよりもずっとマシだったのです。
震えながら半袖やカッターシャツ1枚で過ごす私を、
周りはただの「変人」として見ていました。
さらに、最近になってようやく名前がついた概念ですが、
私には「聴覚情報処理障害(APD)や聞き取り困難症(LiD)」という特性もありました。
これは聴力検査では全く異常がないのに、
言葉が「ただの意味の無い音」としか認識できなかったり、
ガヤガヤした場所で、人の話が周りの「雑音」と同じに聞こえる症状です。
授業中、隣の教室から聞こえてくる声や雑音が脳に流れ込んできて、
目の前の先生の話を聞くのが困難だったたこともあります。
またある時、何度も聞き返してしまう私に対して、
同級生からこんな言葉を投げつけられました。
「もういい加減にして!
ちゃんと聞こえてるくせに、
何回も聞き直すなんてほんまに意地悪やな!」
それ以来、同級生から話をしてもらえなくなり、
相当落ち込みました。
わざとじゃない。
本当に聞き取れなくて困っているだけなのに
「意地悪」だと思われてしまう…。
「私は、普通にしているだけで人を嫌な気持ちにさせてしまうんだ」
「私は、生きてるだけで周りに迷惑をかけるヤツなんだ」
さらにここでも、
自分の自己否定感を一層強くしていきました。
周りに相談しても、
この症状を経験したことがない人には全く理解されない…。
「気のせい」
「真面目に集中しろ」
「やる気が足りない」と言われ続け、
誰にもわかってもらえない絶望的な孤独感の中にいました。
死んだように生きていた中学時代

中学生になると、
奇抜さは少し落ち着きました。
でもそれは私自身が変わったわけではなく、
周りの人たちの対応や状況を観察することで
「普通の人の行動パターン」を少しずつ学習し、
”普通っぽく振る舞う技術(擬態)”を身につけただけでした。
言うなれば、
白鳥が優雅な顔で泳いでるけど、
水面下では必死こいて足をばたつかせている状態。笑
人から嫌われないように、
周りから浮かないように、
取り残されないようにととにかく必死…。
常に心も身体も緊張させ、
人の顔色を伺いながら生きていること自体は
何も変わっていませんでした。
そんな自分はとても虚しく、
「私って何のために生きてるんやろう…。
とりあえず生きてるけど、死んでるのと変わらんな」
と思っていました。
お先真っ暗な高校時代

高校に入っても孤独感は消えませんでした。
友達はいても、
「どうせ私は、人様にご迷惑をかける最低な人間だ」
という思い込みが
いつも私の心を支配していました。
勉強にもついていけず、
遅刻癖も直らない。
努力しようとしても何も改善できない自分に
どんどん自信をなくしていきました。
高校の中庭をひとりぼっちで歩きながら、
「私の人生、お先真っ暗やな…。
大人になったところで何も希望ないわ…。」
と思っていたことは今でも覚えています。
私なんかよりも
もっと過酷な人生を歩んでこられた方から見れば、
大したことではないかもしれません。
でも、あの頃の私にとっては、
確かに“暗黒”でした。
恋愛でも、
大切に扱われない関係を選んでしまい、
「勉強したってどうせ頭悪いんやから、
どこの大学にも行かれへんわ!
お前が生きてると迷惑や!」と
暴力を振るわれたこともあります。
その相手の言葉は、
幼少期から抱え続けていた自己否定と結びつき、
私は本気で命を絶とうとしました。
そのとき止めてくれた友人がいなければ、
今ここにはいなかったかもしれません。
当時の友人には、
感謝してもしきれません。
好奇心に生かされていた大学時代

大学では、
やっと少し息ができるようになりました。
こんな「普通じゃない」私を受け入れてくれる器の広い友達達と付き合い、
興味のある講義を受けまくり、
昼休みや放課後は図書館にこもって本を読み、
良くしてくれる教授の教授室に入り浸り、
夜遅くまで知らない世界の話を興味深く聞かせてもらう日々。
「好奇心」だけが、
当時の私の生きる糧でした。
それでも、
人間関係や恋愛では相変わらず不器用で、
コンプレックスや生きづらさが消えることはありませんでした。
私は長い間、自分のことを
「できそこない」
「生きる価値のない人間のクズ」
だと思って生きてきました。
それは社会人になり
さらに浮き彫りになりました。
でも、私の“できなさ”や“生きづらさ”には、
ちゃんと理由があったのです。
次の記事では、その理由と
そんな私がどう変化していったかを書いていきます。
